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日本三景の日(7月21日)|400年以上愛され続ける日本の絶景―松島・天橋立・宮島に秘められた歴史と魅力

ウォーターブラシで描かれた日本三景のイメージイラスト。左に宮城県・松島の多島美、中央に京都府・天橋立の松並木が続く砂州、右に広島県・宮島の海上に立つ大鳥居が表現された風景画。日本を代表する三つの名勝が一枚にまとめられている。

7月21日は**「日本三景の日」**です。

日本には数え切れないほどの美しい景勝地がありますが、その中でも特別な存在として知られているのが「日本三景」。

宮城県の松島、京都府の天橋立、広島県の**宮島(厳島)**の三つは、江戸時代から現代に至るまで約400年もの間、「日本を代表する絶景」として人々を魅了し続けています。

流行や観光の形が変わり続ける時代の中で、これほど長い年月にわたって評価が変わらない景勝地は世界的に見ても非常に珍しい存在です。

なぜ、この三つの風景は特別なのでしょうか。

今回は、日本三景の日にちなみ、その歴史や知られざる雑学、そして日本人が古くから大切にしてきた「美意識」について深く掘り下げていきます。


日本三景の日とは?

日本三景の日は、2006年に日本三景観光連絡協議会によって制定された記念日です。

7月21日という日付は、江戸時代初期の儒学者・林春斎(林鵞峰)の誕生日に由来しています。

林春斎は1643年に著した『日本国事跡考』の中で、

  • 松島(宮城県)

  • 天橋立(京都府)

  • 宮島(広島県)

を「三処奇観」として紹介しました。

これが後に「日本三景」と呼ばれるようになり、日本人の憧れの旅先として広く知られるようになったのです。

つまり、日本三景という概念は現代に作られたものではなく、江戸時代から続く日本最古級の観光ブランドともいえる存在なのです。


なぜ日本三景は400年間も変わらないのか?

実は、日本三景には共通する特徴があります。

それは単なる「美しい景色」ではなく、

自然・歴史・文化・信仰が一体となっていること。

近代以降に発展した観光地とは異なり、日本三景は人々の暮らしや信仰の中で育まれてきた風景です。

そのため、単なる絶景写真では表現しきれない深い魅力があります。

また、三景すべてに共通するもう一つの特徴があります。

それは、

「海の景色」であること。

島々が浮かぶ松島。

海へ伸びる砂州の天橋立。

海上に立つ大鳥居が象徴的な宮島。

四方を海に囲まれた日本らしい景観が、三景すべてに共通しているのです。

日本三景① 松島(宮城県)

「言葉を失うほど美しい景色」

松島湾には大小260余りもの島々が浮かび、そのほとんどに松が生えています。

穏やかな海と緑の島々が織りなす景色は、古くから多くの文人や旅人を魅了してきました。

松尾芭蕉も感動した絶景

俳人・松尾芭蕉は『おくのほそ道』の旅で松島を訪れています。

有名な

「松島や ああ松島や 松島や」

という句がありますが、実際に芭蕉が詠んだかどうかは定かではありません。

しかし、この逸話が生まれるほど、松島の景色が人々に強い印象を与えていたことは間違いありません。

東日本大震災で注目された自然の防波堤

2011年の東日本大震災では、湾内の多くの島々が津波のエネルギーを分散させたといわれています。

自然が生み出した景観が、人々を守る役割も果たしたことは非常に興味深い事実です。

日本三景② 天橋立(京都府)

神話が息づく「天への架け橋」

天橋立は、宮津湾を横切るように約3.6kmも続く砂州です。

白い砂浜と約5,000本もの松並木が織りなす風景は、世界的にも珍しい地形として知られています。

「股のぞき」はなぜ行うの?

天橋立といえば有名なのが「股のぞき」。

展望台で股の間から景色を見ると、天地が逆転し、まるで天へ向かう橋のように見えることから、この独特な観賞方法が生まれました。

実際に見てみると、普段とは違った不思議な感覚を味わえます。

日本神話との関係

天橋立には、

「神々が天と地を行き来するための橋だった」

という伝説があります。

そのため古くから神聖な場所として信仰され、多くの文人や武将が訪れてきました。

絶景であると同時に、日本神話のロマンを感じられる場所でもあるのです。

日本三景③ 宮島(広島県)

海に浮かぶ神の島

広島県の宮島は、正式には「厳島」と呼ばれています。

島そのものが神聖視されており、古代から信仰の対象となってきました。

世界的にも珍しい「海上神社」

厳島神社最大の特徴は、海の上に建てられていること。

満潮時には社殿と大鳥居が海に浮かんでいるように見え、幻想的な景色が広がります。

一方で干潮時には鳥居の近くまで歩いて行くことができます。

一日の中で全く異なる表情を見せるため、何度訪れても新しい発見があります。

昔は島内で出産や埋葬が禁止されていた

宮島は「神の島」と考えられていたため、古くは島の清浄さを保つ目的で出産や埋葬が禁じられていました。

現在でも、その信仰の名残がさまざまな場所に見ることができます。

1996年には厳島神社が世界文化遺産に登録され、日本を代表する文化的景観として世界からも高く評価されています。


江戸時代の人々にとって日本三景は「憧れの旅」だった

現代では新幹線や飛行機を利用すれば比較的簡単に訪れることができます。

しかし江戸時代には、三景を巡ることは一生に一度の夢でした。

長い時間をかけて旅をし、美しい景色を自分の目で見ることは、人生最大級の楽しみだったのです。

そのため日本三景は、

「いつか訪れてみたい場所」

として、現在の世界遺産巡りにも似た特別な存在となっていました。


実は海外にも知られている日本三景

近年では訪日外国人観光客からも高い人気を集めています。

特に、

  • 海に浮かぶ宮島の大鳥居

  • 日本らしい島々が広がる松島

  • 唯一無二の地形を持つ天橋立

は、日本文化や自然美を象徴する風景として世界的にも注目されています。

SNSの普及によって、その美しさは国境を越えて広く発信されるようになりました。


読者へのメッセージ

私たちは遠く海外の絶景に憧れがちですが、日本にも何百年もの間、人々を魅了し続けてきた風景があります。

江戸時代の旅人が感動した景色を、現代の私たちも同じように「美しい」と感じられることは、とても素敵なことではないでしょうか。

四季によって表情を変え、歴史や文化、信仰までも感じさせてくれる日本三景。

7月21日の日本三景の日をきっかけに、ぜひ日本の美しさに改めて目を向けてみてください。

そしていつか、自分の目でその景色を眺めたとき、400年前の人々と同じ感動を味わえるかもしれません。


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