ギリシャ南部、ペロポネソス半島に位置する港町ナフプリオ。
その街を見下ろすようにそびえ立つのが、**パラミディ要塞(Palamidi Fortress)**です。
白い旧市街と青い海、そして岩山の頂に築かれた巨大な石造要塞。
一見すると「絵になる観光名所」ですが、実はこの場所、
近代ギリシャの誕生と深く結びついた歴史の舞台でもあります。
今回は、パラミディ要塞を“ただの絶景スポットで終わらせない”ための、
知っておくと一気に理解が深まる雑学と背景を、じっくり解説します。
パラミディ要塞とは?|18世紀ヨーロッパ最先端の軍事要塞
パラミディ要塞が建設されたのは、1711年から1714年。
当時ナフプリオを支配していたヴェネツィア共和国によって築かれました。
目的は明確で、
オスマン帝国の再侵攻に備えるための防衛拠点です。
特筆すべきは、その建設スピード。
この規模の山城が、わずか約3年で完成しています。
それだけ当時の地中海世界において、ナフプリオが重要な戦略拠点だったことがわかります。
海と街を完全に掌握する立地|標高216メートルの支配力
パラミディ要塞は、標高およそ216メートルの岩山の頂に築かれています。
ここからは
・アルゴリコス湾を航行する船
・ナフプリオ旧市街の動き
・周囲の平野と街道
すべてが視界に入ります。
敵が海から来ても、陸から来ても、
「見えない」ということがない。
この圧倒的な視界こそが、要塞としての最大の価値でした。
実は8つの要塞が集まった“分散型構造”
パラミディ要塞は、ひとつの城壁で囲まれた単一の城ではありません。
内部は**8つの独立した堡塁(バスティオン)**で構成されています。
それぞれが
・独立して防衛可能
・通路と城壁で相互に連結
という設計になっており、
一部が突破されても、全体が即座に崩壊しない構造です。
これは当時のヨーロッパで発展した、
最新鋭の要塞建築思想を反映したもの。
パラミディ要塞は、地中海世界における“近代要塞の完成形”のひとつといえます。
999段の階段伝説|数よりも語られる意味
ナフプリオ旧市街から要塞へ続く石段は、
「999段の階段」として有名です。
ただし、実際の段数は
・数え方
・補修や崩落
によって変わるため、正確な数字は定まっていません。
それでも「999」という数字が語り継がれるのには理由があります。
ギリシャ文化では「1000」が完全数。
999は“完全に至らない人間”の象徴ともされ、
人が努力して登り続ける存在であることを暗示している、という解釈もあります。
体力的にはなかなかハードですが、
一段一段が、要塞へ近づく儀式のようにも感じられます。
堅牢なのに、あっけなく落ちた要塞
皮肉なことに、
完成から間もない1715年、パラミディ要塞はオスマン帝国に占領されます。
しかも、大規模な正面攻撃ではなく、
内部の混乱や奇襲が主な原因とされ、
要塞としての設計力を十分に発揮する機会はほとんどありませんでした。
「最強の防御を誇りながら、戦う前に落ちた要塞」
この評価が、パラミディ要塞に独特の陰影を与えています。
ギリシャ独立戦争とパラミディ要塞
時代が大きく動くのは1821年。
ギリシャ独立戦争が始まります。
その翌年、1822年にギリシャ側はパラミディ要塞を奪還。
これは軍事的勝利であると同時に、
「ギリシャが自らの国を取り戻す」という象徴的な出来事でした。
この後、ナフプリオは
近代ギリシャ最初の首都となります。
パラミディ要塞は、単なる城ではなく、
国家誕生の記憶を刻む場所となったのです。
英雄が囚われた場所|コロコトロニスの逸話
独立戦争の英雄、テオドロス・コロコトロニス。
彼は後に政治的対立から、
このパラミディ要塞内の牢獄に幽閉されました。
国を救った英雄が、
国を守るための要塞に囚われる。
この矛盾と人間ドラマが、パラミディ要塞を
「美しいだけではない歴史遺産」にしています。
夕暮れの要塞が語るもの
昼のパラミディ要塞は、
軍事遺構としての厳しさが際立ちます。
しかし夕方、
石造りの壁が夕日に染まり、
眼下に広がる白い街と静かな海が輝き始めると、
この場所が見てきた長い時間を、自然と想像してしまいます。
守るために築かれ、
奪われ、
取り戻され、
そして今、静かに人々を迎えている。
それが、パラミディ要塞です。
読者へのメッセージ
パラミディ要塞は、単なる「登ると景色がいい場所」ではありません。
歴史を知ったうえで立つと、
風の強さや石の冷たさまでもが、意味を持って感じられます。
もしナフプリオを訪れるなら、
ぜひ旧市街から見上げるだけでなく、
実際に足で登り、その景色を自分の目で確かめてみてください。
この要塞が、なぜギリシャの記憶として大切にされているのか、
きっと実感できるはずです。

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