12月25日と聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのはクリスマスかもしれません。しかしこの日には、もうひとつ見逃せない記念日があります。それが**「スケートの日」**です。
実はこの記念日、日本におけるスケートの歴史と深く結びついており、氷上文化の原点を静かに伝える特別な日でもあります。
「スケートの日」はいつ、どのように生まれたのか
「スケートの日」は、1982年(昭和57年)に日本スケート場協会によって制定されました。
冬のレジャーとして、また競技スポーツとしてのスケートの魅力をより多くの人に知ってもらうことを目的とした記念日です。
日付である12月25日は、日本におけるスケート史の中でも象徴的な出来事が起きた日として知られています。
日本で初めてスケートをした人物|ブレーキストンの滑走
1861年(文久元年)12月25日、北海道・函館に滞在していた
**トーマス・ブレーキストン(Thomas Blakiston/1832~1891年)**が、日本で初めてスケートをした人物とされています。
ブレーキストンは、イギリスの軍人であり、貿易商、探検家、動物学者という多彩な顔を持つ人物です。
函館滞在中、凍結した水面でスケートを楽しんだという記録が残っており、これが「日本におけるスケートのはじまり」として広く語られています。
当時の日本では、氷の上を刃の付いた靴で滑るという行為自体が珍しく、人々に強い印象を残したと考えられています。
さらにさかのぼるもう一つの「日本初」説
一方で、日本のスケート史には、ブレーキストン以前にさかのぼる別の説も存在します。
1792年(寛政4年)、ロシアの使節アダム・ラクスマン一行が、北海道・根室で一冬を過ごした際、
結氷した根室湾内で氷上を滑ったという記録が残されています。
この滑走が事実であれば、日本で初めてスケートを体験したのはラクスマン一行ということになります。
こうした複数の説が存在する点も、日本のスケート史の奥深さを感じさせる要素のひとつです。
北海道から広がった氷上文化
日本でスケートが広まった背景には、寒冷な気候があります。
特に北海道や東北地方では、冬になると湖や湾が自然に凍り、生活の延長線上で氷上を滑る文化が根付いていきました。
やがてスケートは遊びから競技へと進化し、学校教育や地域行事、さらには全国大会へと発展していきます。
多様な競技へと進化したスケート
スケートは一つの形にとどまらず、次第に競技として細分化されていきました。
スピードスケート:氷上での速さを競う競技
フィギュアスケート:技術と芸術性を融合した表現競技
アイスホッケー:スピードと戦略が融合するチームスポーツ
日本は特にフィギュアスケート分野で世界的評価を受け、数多くの名選手を輩出しています。
クリスマスと重なる「スケートの日」の意味
12月25日はクリスマス。
欧米ではこの時期、街中に屋外アイスリンクが設置され、家族や恋人が氷上で過ごす光景が冬の風物詩となっています。
「スケートの日」がこの日に設定されていることは、偶然でありながら、
冬・氷・人のぬくもりを象徴する日付とも言えるでしょう。
読者へのメッセージ
「スケートの日」は、競技の記念日であると同時に、日本人が氷と出会い、冬を楽しんできた歴史を思い出させてくれる日です。
函館や根室の凍った海で滑った人々の姿を想像すると、スケートが特別なスポーツである前に、自然と向き合う知恵だったことが見えてきます。
今年の12月25日は、少しだけ足を止めて、氷上文化の物語に思いを馳せてみてください。
リンクで滑る一歩も、観戦するひとときも、きっと冬を深く味わう時間になるはずです。

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