■ アルバート・ホフマン博士とLSDとの出会い
1943年、スイスのバーゼルにある製薬会社サンド(現ノバルティス)の化学者、**アルバート・ホフマン博士(Dr. Albert Hofmann)**は、ライ麦に含まれる麦角菌から得られる化合物「リゼルグ酸ジエチルアミド(LSD-25)」の研究に取り組んでいました。実はこの物質、1938年にすでに合成されていたものの、当時はその医学的価値が認められず放置されていたのです。
しかし5年後の1943年4月16日、ホフマンは直感的な再興味からLSDを再合成。微量ながら皮膚から吸収してしまったことにより、世界で初めてLSDの幻覚作用を体験することになります。それは、意識が変容し、感覚が歪み、時間と空間の感覚すら揺らぐという、科学者にとっても衝撃的な出来事でした。
■ 4月19日、自転車に乗って“意識の旅”へ
ホフマンは、自らの体験を確認するために、3日後の4月19日(月)午後4時20分、意図的に250マイクログラムのLSDを服用。当時この量は“ごく少量”と考えられていましたが、現在では非常に高濃度な摂取量とされており、彼の判断がいかに大胆だったかが分かります。
やがて訪れる強烈な幻覚と心拍の上昇、不安感。ホフマンは帰宅の必要を感じ、助手の付き添いのもと、自転車に乗って研究所から自宅までの道のりを走ることになります。
彼が体験したのは、周囲の景色が歪んで波打つように揺れ、時間が止まったかのような感覚。自転車がまったく前に進んでいないように感じたと記録に残しています。自宅に到着後も、万華鏡のような視覚体験や強い恐怖、不安が彼を襲いますが、やがて回復し、身体には一切の異常がなかったことが確認されました。
この奇妙で劇的な“サイケデリック・ライド”こそが、のちに**「Bicycle Day(バイシクル・デー)」=自転車の日と称されるようになった理由**です。
■ 世界に与えた影響──幻覚研究とサブカルチャーの原点
ホフマンの体験は、LSDを単なる化学物質から人間の意識に深く働きかける存在として再定義する大きな一歩となりました。1950〜60年代には、アメリカを中心にLSDが精神医学の研究対象となり、やがてヒッピー文化やサイケデリック・アート、音楽、さらには精神世界の探求へと広がっていきます。
一方で、乱用や依存、社会的な問題も引き起こし、1970年代には厳しく規制されることになりますが、近年では再び医療・セラピーの可能性に注目が集まっており、研究が世界中で復活しつつあるのです。
■ 4月19日は“警鐘”と“再発見”の象徴
「自転車の日」は、単なる記念日ではありません。それは人間の科学的探究心が、どこまで意識の領域に踏み込めるのかを象徴する日であり、同時に“知の限界”を実感する警鐘でもあるのです。
ホフマン博士の名誉ある“帰宅ライド”は、ただの幻覚体験ではなく、科学と倫理、そして人間の本質への問いかけを今なお私たちに投げかけています。
なぜ読むべきか?
この「自転車の日」の物語には、科学者の勇気ある探究心、意識の未知なる領域への挑戦、そして社会と薬物の複雑な関係が詰まっています。現代においても、LSDはうつ病やPTSDなどの治療薬として再評価されつつあり、その原点を知ることは、単なる雑学以上の価値を持つと言えるでしょう。
読者へのメッセージ
何気ない「自転車の日」の裏側には、世界を変える発見と、それを巡る深い物語があります。アルバート・ホフマン博士の帰宅ライドが教えてくれるのは、人間の限界は自らが定めた枠の中にしかない、という真実かもしれません。この物語が、あなたの好奇心と知識の扉を開く一助となれば幸いです。
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