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馬肉を愛する日(8月29日)|馬刺しと「桜肉」にまつわる日本の食文化を知ろう

赤身と白い脂の繊細な霜降りが美しい馬刺しを、青じそ、大根のつま、しょうが、わさびなどの薬味とともに盛り付けた水彩画風の料理イラスト。

8月29日は「馬肉を愛する日」です。

馬肉と聞いて、まず思い浮かぶのは「馬刺し」ではないでしょうか。熊本の郷土料理として特に有名ですが、馬肉は熊本だけでなく、長野県や福島県などでも地域の食文化として受け継がれています。

しかも馬肉には「桜肉」という別名があり、食べ方も馬刺しだけではありません。

今回は8月29日の「馬肉を愛する日」をきっかけに、記念日の由来、「桜肉」と呼ばれる理由、馬刺しの特徴、そして地域によって異なる馬肉料理まで紹介します。


「馬肉を愛する日」は誰が制定した?

「馬肉を愛する日」は、馬刺しなどの馬肉製品の加工・販売を手がける株式会社若丸が制定した記念日です。

記念日を通して、日本の食文化としての馬肉をより多くの人に知ってもらい、愛してもらうことを目的としています。

2021年(令和3年)には、一般社団法人・日本記念日協会によって認定・登録されました。

日付が8月29日なのは、語呂合わせが理由です。

8(ば)・2(に)・9(く)=ばにく

と読むことで、「馬肉」につながります。

名前と日付の両方から馬肉を連想できる、覚えやすい記念日です。


馬肉の別名は「桜肉」

馬肉には「桜肉」という呼び名があります。

その由来には複数の説がありますが、よく知られているのが、馬肉の鮮やかな赤色が桜色を思わせるという説です。

一方で、江戸時代の言葉遊びや隠語と関連づける説もあります。

由来を一つに断定することは難しいものの、「馬」を直接使わず「桜」と表現するところには、日本ならではの言葉の文化を感じられます。

牛肉を別の言葉で表現する「もみじ」などと同じように、昔の人々は食材を直接呼ばず、植物などに置き換えて表現することがありました。

馬肉を「桜肉」と呼ぶ背景にも、こうした日本独特の言葉遊びが関係していると考えられています。


馬肉といえば「馬刺し」

馬肉料理の代表が「馬刺し」です。

薄く切った馬肉を醤油などにつけて食べる料理で、特に熊本の郷土料理として知られています。

馬肉は赤身を中心とした部位だけでなく、脂のある部位や、たてがみ周辺の部位なども食用にされます。

そのため、部位によって食感や味わいが異なるのも馬刺しの特徴です。

赤身なら比較的すっきりした味わい、脂のある部位なら濃厚な口当たりなど、一皿の中でも異なる楽しみ方があります。

ただし、馬刺しのような生食用の馬肉は衛生管理が重要です。食べる場合は、生食用として適切に管理されたものを選び、保存方法や消費期限などを守ることが大切です。


熊本だけではない、日本の馬肉文化

馬肉文化で特に有名なのが熊本ですが、馬肉を食べる地域はほかにもあります。

長野県の「おたぐり」

長野県の伊那地方などでは、「おたぐり」と呼ばれる馬のモツ料理が知られています。

馬刺しとは異なり、馬のモツを煮込んで味わう料理です。

同じ馬肉でも、刺身とはまったく違う料理になるところが興味深いところです。

福島県・会津地方の馬刺し

福島県の会津地方も馬肉文化で知られています。

会津の馬刺しでは、辛子味噌を添えて食べるスタイルが有名です。

熊本の馬刺しとは異なる味わい方があり、地域ごとの食文化の違いを感じることができます。

このように、馬肉は「全国どこでも同じ料理として食べられている食材」ではありません。

土地によって調理法や味付けが変わることこそ、馬肉文化の大きな魅力です。


なぜ馬肉を食べる文化が生まれたの?

馬は、日本人の暮らしと深く関わってきた動物です。

農耕や運搬、移動などで活躍し、地域によっては馬の飼育が生活の一部になっていました。

そのような環境の中で、馬を食材として利用する文化も各地に生まれていきました。

もちろん、日本全国で同じように馬肉を食べてきたわけではありません。

その地域で馬がどのように飼われていたのか、どのような食材が手に入ったのか、どんな調理法が受け継がれてきたのか――。

こうした違いが、現在の地域ごとの馬肉料理につながっています。

馬肉文化を知ることは、馬そのものの歴史だけでなく、地域の暮らしを知ることにもつながるのです。


馬肉の魅力は「料理」だけではない

馬肉を調べてみると、単に「珍しい肉」というだけではないことが分かります。

馬刺しのように素材そのものを味わう料理がある一方で、おたぐりのように煮込み料理として受け継がれているものもあります。

つまり、馬肉は地域によって異なる食文化を映し出す食材なのです。

熊本の馬刺しを知れば熊本の食文化に興味が湧き、会津の馬刺しを知れば辛子味噌という食べ方に目が向き、長野のおたぐりを知れば郷土料理の背景を調べたくなる。

一つの食材から、さまざまな地域の物語へと興味を広げられるところが、馬肉の面白さです。


読者へのメッセージ

8月29日は「馬肉を愛する日」。

馬刺しを食べたことがある人も、まだ馬肉を味わったことがない人も、この日をきっかけに馬肉について少し調べてみてはいかがでしょうか。

「桜肉」という名前の由来を知るだけでも、食べ物にまつわる日本語の面白さが見えてきます。

さらに熊本、長野、会津などの馬肉料理を比べてみれば、同じ食材でも地域によって食文化が大きく変わることに気づくはずです。

一皿の料理の向こうには、その土地で暮らしてきた人々の知恵や歴史があります。

馬肉を食べる機会があれば、その味だけでなく「なぜこの土地では、この食べ方が受け継がれてきたのだろう」と考えてみるのも面白いでしょう。

食べる機会がなくても、地域の馬肉料理を調べるだけで、知らなかった土地の文化に出会えるかもしれません。

8月29日は、馬肉を入り口に、日本各地に受け継がれてきた食文化の奥深さを楽しんでみませんか。


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