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6月10日は「歩行者天国の日」銀座から上野まで5.5km!街の主役が車から人へ変わった歴史の日

淡いパステルカラーとフラットデザインで描かれた、たくさんのちびキャラの一般人が歩くイラスト。子どもから大人まで様々な人物が横方向に歩いており、シンプルで親しみやすい雰囲気の構図。

普段、私たちは道路を「車が走る場所」として当たり前のように認識しています。

しかし、もし目の前の大通りから車がすべて消えたらどうでしょうか。

道路の真ん中を自由に歩き、立ち止まり、景色を楽しみ、人々と交流する――そんな特別な空間が生まれます。

6月10日は「歩行者天国の日」です。

この日は、1973年(昭和48年)6月10日に東京の銀座から上野まで約5.5kmにわたる道路で、日本初の大規模な歩行者天国が実施されたことを記念しています。

当時、その規模は世界最長クラスともいわれ、多くの人々が車のない大通りを自由に歩くという、これまでにない体験を楽しみました。

現在では全国各地で開催される歩行者天国ですが、その始まりには高度経済成長期の日本が抱えていた大きな課題と、「人が主役の街を取り戻したい」という願いがありました。

今回は、歩行者天国の日にまつわる歴史や雑学、そして現代の街づくりにもつながる興味深い話をご紹介します。


歩行者天国とは何か?

歩行者天国とは、一定の時間や特定の日に道路を自動車通行止めにし、歩行者が自由に利用できるようにした空間のことです。

一般的には「ホコテン」の愛称でも知られています。

歩行者天国になると、普段は車が走る道路がまるで広場のような空間へと変わります。

買い物客がゆっくり散策したり、子どもたちが安心して歩いたり、イベントやパフォーマンスが開催されたりと、道路の使い方そのものが大きく変化します。

現代では当たり前のように感じるかもしれませんが、かつて道路は「車が優先される場所」という考え方が一般的でした。

そんな時代に誕生した歩行者天国は、まさに革新的な試みだったのです。


なぜ歩行者天国が誕生したのか?

歩行者天国を理解するためには、1960年代から1970年代の日本社会を振り返る必要があります。

高度経済成長によって日本は急速に発展し、自動車の保有台数も爆発的に増加しました。

便利になった一方で、大きな問題も発生します。

それが交通事故の増加と大気汚染です。

当時の都市部では、自動車による排気ガスや騒音が深刻化し、「人が安心して歩けない街」になりつつありました。

そこで注目されたのが、人間中心の都市づくりです。

道路を車だけのものではなく、人々が安全で快適に過ごせる空間として活用しようという考え方が広がり始めました。

その象徴的な取り組みが、1973年6月10日に実施された銀座から上野まで約5.5kmの大規模な歩行者天国だったのです。


銀座から上野まで5.5km!当時の人々を驚かせた大イベント

現在でも5.5kmを歩くとなるとかなりの距離ですが、当時の人々にとってはさらに衝撃的でした。

なぜなら、その距離すべてが「車のいない大通り」だったからです。

銀座、日本橋、神田、上野といった東京を代表するエリアを結ぶ道路が歩行者に開放され、多くの人々が訪れました。

普段は車やバスが絶え間なく走る道路を自由に歩けるという体験は、大きな話題となりました。

道路が単なる交通インフラではなく、人々が集まり、楽しみ、交流する空間にもなり得ることを社会に示した歴史的な出来事だったのです。


歩行者天国になると街はどう変わる?

不思議なことに、車がいなくなるだけで街の印象は大きく変わります。

まず、騒音が減ります。

エンジン音やクラクションの代わりに、人々の会話や笑い声が聞こえるようになります。

さらに視界も広がります。

普段は気づかない建築物の装飾や歴史ある建物、街路樹や店舗のデザインなど、街の新たな魅力が見えてきます。

実際に都市計画の分野では、「歩く速度でしか発見できない価値」があると考えられています。

車で時速40kmで通り過ぎる景色と、徒歩で時速4kmで眺める景色では、見える世界がまったく異なるのです。


世界で進む「人中心の街づくり」

歩行者天国の考え方は日本だけではありません。

ヨーロッパでは古くから歴史地区への車の乗り入れを制限する取り組みが行われています。

近年では環境問題への関心の高まりもあり、「車中心の都市」から「人中心の都市」への転換が世界的な流れになっています。

歩行者や自転車を優先し、緑地や広場を増やすことで、人々が快適に暮らせる街づくりが進められています。

こうした流れを見ると、歩行者天国は単なる休日イベントではなく、未来の都市を考える上でも重要なヒントを与えてくれる存在だといえるでしょう。


知っていると話したくなる豆知識

実は「歩行者天国」という言葉は、日本独特の表現として定着した言葉です。

海外では一般的に「Pedestrian Zone(歩行者区域)」や「Car-Free Street(車のない通り)」と呼ばれています。

しかし日本では、車を気にせず自由に歩ける空間を「天国」と表現しました。

確かに、普段は立ち入れない道路の真ん中を自由に歩ける体験は、歩行者にとって特別な開放感があります。

何気なく使っている「歩行者天国」という言葉には、日本人らしい感性が込められているのです。


読者へのメッセージ

私たちは毎日、効率よく移動することを優先して生活しています。

しかし歩行者天国の日は、「急がずに歩くこと」の価値を思い出させてくれます。

ゆっくり歩くことで見つかる景色があります。

立ち止まることで気づく魅力があります。

そして、人と人との交流が生まれる空間があります。

1973年に銀座から上野まで続く5.5kmの道路で始まった歩行者天国は、単なる交通規制ではありませんでした。

それは、「街は人のためにある」というメッセージだったのかもしれません。

6月10日の歩行者天国の日には、いつもより少しだけ歩く速度を落としてみてください。

普段見過ごしている街の魅力や新しい発見に出会えるかもしれません。


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