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3月25日「電気記念日」— 日本に灯った最初の光と電気の進化

暗闇の中で温かい光を放つ、おしゃれなデザインの街灯。背景はほぼ真っ黒な夜空。

私たちの生活に欠かせない**「電気」。照明、家電、通信、交通、あらゆるものが電気によって動いています。しかし、日本で初めて電灯が灯されたのはわずか150年ほど前のことです。その記念すべき日が「電気記念日」(3月25日)**です。

この日がどのようにして誕生し、日本の電気の歴史がどのように発展してきたのかを詳しく紐解きながら、現代における電気の意義と未来についても考察していきます。


電気記念日の由来—日本で最初の電灯が灯った日

1878年(明治11年)3月25日、日本で初めて**「電灯」が点灯しました。場所は工部省電信局**(現在のNTTの前身)で行われた祝賀会。この日、政府の要人や外国人技師が集まり、会場を照らしたのがアーク灯でした。

アーク灯は、現在のLEDや蛍光灯とは異なり、炭素棒の間に電流を流し、高温の電弧(アーク)を発生させて光を放つ照明です。当時としては画期的な技術でしたが、炭素棒が消耗するため、こまめな交換が必要という欠点がありました。

この革新的な出来事を記念し、1927年(昭和2年)に日本電気協会が「電気記念日」を制定。それ以来、電気の発展を祝う日として、全国でさまざまなイベントや啓発活動が行われるようになりました。


日本における電気の進化—電灯から全国普及へ

① 東京での電灯導入と電力会社の誕生

日本で本格的に電気が普及し始めたのは、1887年(明治20年)に設立された「東京電燈会社」(現在の東京電力の前身)によるものです。当初、電灯の供給は限られたエリアのみでしたが、次第に発電技術が進歩し、電力網が広がっていきました。

  • 1888年(明治21年):東京・京橋に火力発電所を建設し、電力供給を本格化

  • 1890年代:大阪、京都、名古屋などの都市でも電力会社が誕生

  • 1907年(明治40年):全国各地に電力会社が増え、工場・鉄道・家庭への電力供給が拡大

② 一般家庭への普及と電化社会の到来

明治時代末期から大正時代にかけて、電気は富裕層だけでなく一般家庭にも普及し始めました。特に1920年代には、白熱電球、電気アイロン、電気扇風機などの電化製品が登場し、人々の暮らしが大きく変わりました。

  • 1923年(大正12年):関東大震災後、電気の重要性が再認識され、電力インフラが整備される

  • 1950年代(昭和):冷蔵庫、洗濯機、テレビの**「三種の神器」**が普及し、家庭の電化が進む

  • 1970年代以降:省エネ技術や発電効率の向上が進み、電力供給の安定化


現代の電気と未来—再生可能エネルギーの時代へ

21世紀に入り、私たちは新たな電力の時代を迎えています。化石燃料に依存した発電から、**再生可能エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱)**へと移行する流れが加速しています。

  • 2011年(平成23年):東日本大震災を契機に、日本のエネルギー政策が見直される

  • 2012年(平成24年):「固定価格買取制度(FIT)」が導入され、再生可能エネルギーが急成長

  • 2020年代:脱炭素社会を目指し、カーボンニュートラルの実現に向けた技術革新が進む

現在、日本の電力の約20%が再生可能エネルギーによって賄われており、今後もさらなる拡大が見込まれています。また、スマートグリッド(次世代電力網)や蓄電技術の発展により、より持続可能な電力システムが構築されつつあります。


なぜ「電気記念日」を意識すべきか?

1. エネルギーの大切さを再認識できる

電気は「当たり前」の存在になりましたが、発電には資源や技術が不可欠です。限りあるエネルギーを大切に使う意識が求められています。

2. 電力の歴史を知ることで、技術革新の進化を感じられる

わずか150年の間に、日本の電力技術は飛躍的に進歩しました。これを振り返ることで、未来のエネルギーについて考えるきっかけになります。

3. 地球環境と向き合う契機になる

現在、世界的な課題となっている脱炭素化。電気の使用方法を見直し、持続可能なエネルギー利用を意識することが、環境保護につながります。


読者へのメッセージ

3月25日「電気記念日」は、単なる記念日ではなく、私たちの暮らしを支える電気の歴史と未来を考える日です。

普段、何気なく使っている電気がどのようにして生まれ、どのように進化してきたのかを知ることで、新たな気づきがあるかもしれません。さらに、これからの時代は再生可能エネルギーの活用が鍵を握っています。

**「電気の未来をつくるのは、私たち一人ひとりの意識」**です。

それでは、また次回の雑学でお会いしましょう!

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