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5月17日は「パック旅行の日」世界初のパッケージツアーが変えた“旅する文化”

夏のヨーロッパの美しい街並みを背景に、銀髪ロングヘアの可愛い女性が白系のシンプルなワンピース姿で振り返る、日本アニメ調の高精細デジタルイラスト。下から見上げる構図で、光に透ける髪と透明感のある白い肌が印象的。

「旅行」と聞くと、あなたは何を思い浮かべますか?

絶景を見に行く旅。
美味しいグルメを楽しむ旅。
温泉でゆっくり癒やされる旅。
あるいは、大切な人との思い出づくりかもしれません。

今では、スマホひとつで航空券もホテルも簡単に予約できる時代になりました。
しかし、かつて旅行は“限られた人だけが楽しめる特別な体験”でした。

そんな旅の常識を大きく変えたのが、「パック旅行」です。

5月17日は「パック旅行の日」。
1861年のこの日、イギリスで世界初のパッケージツアーが実施されたことに由来しています。


パック旅行の日とは?

5月17日の「パック旅行の日」は、1861年5月17日にイギリスで世界初のパック旅行が行われたことを記念した日です。

この旅行は、労働者委員会が企画し、旅行業者の
トーマス・クック(Thomas Cook)
が手配しました。

参加した労働者一行は、ロンドン・ブリッジ駅からフランス・パリへ向けて出発。
これが“世界初のパッケージツアー”とされています。

現代では当たり前になった、

  • 交通費

  • 宿泊費

  • 食事代

  • 観光プラン

などがセットになった旅行商品ですが、その原点は150年以上前に誕生していたのです。


「パック旅行」とはどんな旅行?

パック旅行(パックツアー・パッケージツアー)とは、旅行会社が企画・募集する団体旅行商品のことです。

一般的には、

  • 交通手段

  • 宿泊施設

  • 食事

  • 観光スケジュール

などがまとめてセットになっています。

現在では、

  • 国内ツアー

  • 海外旅行

  • バスツアー

  • クルーズ旅行

  • 一人旅向けプラン

など幅広い形がありますが、「旅行をまとめて手配する」という基本的な考え方は、1861年当時から変わっていません。


トーマス・クックは“近代旅行業の父”

世界初のパック旅行を実現したトーマス・クックは、「近代旅行業の父」と呼ばれています。

彼は単なる旅行会社の創業者ではありません。

実は、現代旅行につながる多くの仕組みを生み出した革新的な人物でした。

トーマス・クックが広めたもの

  • 団体旅行

  • パッケージツアー

  • 旅行クーポン

  • 周遊旅行

  • 添乗員付きツアー

  • 海外旅行プラン

現在では当たり前のこれらの仕組みも、当時は非常に画期的だったのです。

特に彼が重視したのは、「一般の人でも安全に旅行を楽しめること」でした。

当時の旅行は、富裕層だけの特権に近い存在。
しかしトーマス・クックは、労働者階級にも旅の楽しさを届けようと考えたのです。

その思想は、今の旅行業界にも大きな影響を与えています。


1860年代の海外旅行は“命がけ”だった?

現代では飛行機で数時間の海外旅行も、1860年代はまったく別世界でした。

当時の海外旅行には、

  • 長時間移動

  • 言葉の壁

  • 治安への不安

  • 慣れない食文化

  • 宿泊手配の難しさ

など、多くのハードルがありました。

さらに、地図や翻訳アプリなど存在しない時代。
旅先で問題が起きても、自力で解決するしかありません。

だからこそ、

  • 交通をまとめて確保する

  • 宿泊先を事前予約する

  • 団体で安全に移動する

というパック旅行の仕組みは、多くの人にとって革命的だったのです。


なぜパック旅行は世界中で広まったの?

1. 初心者でも安心できた

海外旅行が不慣れな人でも、旅行会社がスケジュールを組んでくれることで安心感がありました。

特に、

  • ホテル選び

  • 乗り換え

  • 現地移動

  • 観光地巡り

を任せられる点は大きな魅力でした。

2. 個人旅行より安くなることがあった

旅行会社は大量予約によって料金を抑えられるため、個人で行くより安いケースも増えていきました。

「旅行=高級」というイメージを変えた理由のひとつでもあります。

3. “みんなで旅する楽しさ”があった

昔のパック旅行では、団体で行動すること自体が楽しみでした。

  • バス移動

  • 集合写真

  • 同じ食事

  • 添乗員との交流

など、“旅を共有する体験”が人気だったのです。

特に昭和時代の日本では、

  • 新婚旅行

  • 社員旅行

  • 修学旅行

  • 卒業旅行

など、団体旅行文化が深く根付いていました。


日本でパック旅行が広まった理由

日本では高度経済成長期以降、「旅行へ行けること」が豊かさの象徴になっていきました。

さらに1964年、海外観光旅行が自由化されたことで、一般の人にも海外旅行のチャンスが広がります。

しかし当時は、

  • 海外経験が少ない

  • 英語が不安

  • 情報が少ない

という時代。

そこで人気を集めたのが、旅行会社によるパックツアーでした。

「全部まとめて任せられる安心感」は、多くの日本人に支持されたのです。


現代の旅行は“自由”と“効率”の時代へ

現在では、

  • 航空券比較サイト

  • ホテル予約アプリ

  • 翻訳アプリ

  • 地図アプリ

などが普及し、個人旅行は一気に身近になりました。

一方で、パック旅行にも今なお根強い人気があります。

現代のパック旅行の魅力

  • 手配不要でラク

  • コスパが良い

  • 時間効率が高い

  • 初心者でも安心

  • 有名観光地を効率的に回れる

最近では、

  • 一人参加限定ツアー

  • 世界遺産専門ツアー

  • 推し活遠征旅行

  • グルメ特化型旅行

  • 鉄道ファン向けツアー

など、“趣味特化型”のパック旅行も増えています。


実は旅行には「脳を活性化させる効果」もある?

旅行中、人は普段とは違う景色や文化に触れます。

この「新しい刺激」は脳に良い影響を与えると言われており、

  • 気分転換

  • ストレス軽減

  • 好奇心の刺激

  • 記憶への定着

などにもつながるとされています。

つまり旅行は、単なるレジャーではなく、“心と脳をリフレッシュする体験”でもあるのです。

だからこそ、人は昔から旅に魅了され続けてきたのかもしれません。


読者へのメッセージ

旅行には、不思議な力があります。

知らない街を歩くだけで気分が変わったり、初めて見る景色に心が動いたり、普段は気づけない発見に出会えたり――。

旅は、私たちの日常に“新しい風”を運んでくれます。

そして、その旅を多くの人に身近なものへ変えたのが、1861年に始まった世界初のパック旅行でした。

今では自由旅行も当たり前になりましたが、「誰でも気軽に旅を楽しめる」という価値観は、150年以上前の挑戦から始まっています。

忙しい毎日の中でも、ときには少しだけ日常を離れてみることは、心をリセットする大切な時間になるかもしれません。

5月17日の「パック旅行の日」をきっかけに、次はどこへ行ってみたいか、ぜひ想像してみてください。

新しい景色との出会いが、あなたの毎日をもっと豊かに、もっと楽しくしてくれるはずです。


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